採用ブログ
24.11.20
日本メディアシステムの文化とは?
こんにちは!日本メディアシステムです🙌
さて、今回は、「会社に入ってみないと分からない」という入社前の不安について。
もちろん、実際に働いてみてから気が付くことも沢山あると思います。
ただ、それだと少し不安…。ということで、日本メディアシステムの社内文化を大公開!
通信機器営業業界としては老舗の当社。創業から38年を迎え、ちょっと変わった文化も存在します。
ぜひ最後までご覧ください👀
今回は、勤続36年の総務部 里見課長にお話を伺いながら、日本メディアシステムについて知っていきたいと思います✨
私もお話を伺いながら、「そんなことが!?」と驚きっぱなしでした😵
日本メディアシステムという社名について
日本メディアシステムの社名には、どういった意味が込められているんですか?
創業当時の夢は「全国制覇!」でした。その願いを込めて、「日本全国にマルチメディアの商品をシステムとして販売する会社」として会社名が決められたと聞いています。
そんな意味が込められていたんですね…!実際に社名通り全国展開できていますが、その経緯についてご存知ですか?
元々電気通信事業は国が経営していた『電信電話公社(電電公社)』が運営していました。
1985年4月に民営化され、NTTさんの誕生とともに『通信の自由化』がスタート。
それ以前は電電公社の独占事業だったので企業間競争がなく、日本の通信事業は世界に比べて技術的に遅れていたんです。自由化による企業参入で競合が起き、民間の力で通信業界を発展させようということで、それ以来日本の通信技術がどんどん進化していきました。
それに伴って電話機メーカーも自社オリジナル商品を沢山販売するようになり、電電公社時代のレンタル電話機がどんどん返納されて「これじゃダメだ!NTTブランドを増やさねば!」ということで、販売強化のためNTT特約店制度ができました。
電話機とかFAXとか「NTT」ブランドは信用度が高く他社メーカーよりも販売しやすいので、当社もいち早く特約店の資格を取得しました。今のようにNTT特約店は東西ではなく、最初はNTTさんの営業所や支店単位での特約店という小さい規模だったので、販売できる地区も限られたんですね。それでもNTT商品をどんどん販売して実績を上げたことで色々なところのNTTさんから声を掛けてもらい、次々と特約店契約を全国に広げていったって感じですね。
今では業界内では老舗企業ですもんね!
なぜ通信機器の会社を立ち上げようとなったのでしょうか?
創業者の坂野徳一社長が知り合いから「通信の自由化により、新しい事業が始まる」という情報を入手されたことがきっかけで、それに“ピン”ときたと仰ってました。ずっと自動車部品卸の会社を経営されていた“経営者のカン”でしょうね。先見の明が凄かったんだと思います。
そうだったんですね!今まで経営してきた会社を辞めて新しい会社を立ち上げることに周りからの反対はなかったんでしょうか?
徳一社長は奥様(後のきみ子会長)に「自動車業界やめて通信機器の販売の会社をやろうと思う。失敗するかもしれんけど、それでもいいか?」と言ったら奥様は「これからは通信の時代だからいいんじゃない。どうせあっち(天国)にはお金持っていけないし、あなたの思うようにやったらいいんじゃない。」と言われたそうです。そして日本メディアシステムが誕生しました。
奥様、めちゃくちゃかっこいいですね…。
設立後すぐに上手く行ったんでしょうか?
設立は名古屋ですが、事業は大阪からスタート。この商売が上手くいくのか、あきんどの町で試したんですよね。3ヶ月で確信し、「よし!これならいける!」と名古屋に支社を開設。設立から2年で名古屋市昭和区に小さいながらも自社ビルを新築で建てたんです。私が転職を考えていた時にちょうどこのビルが竣工して、リクルートの募集誌に「2年で自社ビル!」とう記事を見て、この会社を受けようって決めました!(笑)
設立当初、徳一社長は大好きだったゴルフを封印し、ゴルフ場会員権も全部売ってこの会社の運営資金にしたという話もご本人から聞きました。徳一社長は当時62歳。定年が55歳だった時代に、この歳から始めて全国ネットの会社にしちゃったんだから凄いですよね!
62歳!?なかなか簡単にできることではないですね…。
挨拶は“押忍”?
私が入社して一番驚いたのは、「押忍!」という挨拶!
正直、ぼくもビビった!(笑)
入社したときは、そんなに広くなく天井も低いしちょっと暗めの事務所で、入社初日の朝礼でいきなり「押忍っ!」だもん。「えらいところに来てもうた・・・」って思いましたよね。とにかく異世界に入り込んでしまったと。(笑)
でも朝礼後の先輩たちはみんな優しくて普通の人たちだった。なのに、なんで朝礼だけはあんな風なんだろうって思いました。いやぁ~今思い出しても、あの時は本当にビビったなぁ。足が震えたもん!(笑)
驚きますよね!(笑)
「押忍」の始まりってご存知ですか?
きっかけは、当時徳一社長が愛知県警の交通機動隊の朝礼に参加する機会があり、そのときに白バイ隊が一列に並んで「押忍!」ってやってたのを見て「これだ!」と思ったそうです。凄く壮観でカッコ良かったから真似したかったんだって聞きました。
そうだったんですね!私は普段使いませんが、「押忍!」という挨拶は皆さん口をそろえて便利と言われています。挨拶の時や話を終わらせたい時とかにも…(笑)
決起大会って?
1年に1度、全国の社員が集まる決起大会は昔からあったのでしょうか?
ぼくが入社した頃(創立から2年)は、名古屋と大阪の2拠点だけで5~60名ぐらいの会社でした。確か大阪支社(現関西支店)の移転パーティーの時だったと思うけど、大阪の社員が余興で色んなことをして大ウケしたのがきっかけだったと思います。その翌年頃から年に一度の決起大会がスタート。「決算賞与が貰える日!」ということで毎年楽しみでした。
また、チームごとに余興を披露して、一番面白かったチームに金一封がでるというパフォーマンス大会も開催され、決起大会が近づくと皆で練習とかしたんですけど何だか妙に団結心というか絆が芽生えたのをしっかりと覚えています。(笑)
パフォーマンス大会!仕事しながら準備してってかなり大変ですね💦
拠点数が7~8拠点ぐらいになった頃なんかは、朝から夕方までほぼ1日ホテルを借り切って表彰式から大宴会まで繰り広げていましたね。確か本社1091ビル竣工の翌年くらいまでやってたと思いますが、凄く楽しかったけど運営はめちゃんこ大変でした。
拠点数が増えると物理的にパフォーマンス大会はできなくなり、その代わりにプロの芸人さんに余興をお願いするようになりました。本格的な舞台を用意するなど、これも結構大変でしたけど、プロの芸人さんはやっぱり面白かったですね!
決起大会は、全拠点のメンバーが集まる表彰式というイメージなので、今とかなり違いますね!
里見課長、ありがとうございました!
業界老舗企業ということもあり、文化や歴史も沢山あります。
今では徐々に減りつつありますが、こういった企業ならではの文化も面白い!と感じてくださる方と一緒に働いていけたらなとおもいます。